だれかに話したくなる本の話

『敗残者 (東欧の想像力)』ファトス コンゴリ他著【「本が好き!」レビュー】

提供: 本が好き!

ある者は希望を胸に
またある者は絶望を陸に置き去りにしようとして
身一つで船に乗り込んで新天地に向かう…

あるいは、命がけの船旅を経て
ようやく地に足をつけて、新しい一歩を踏み出す……

そんな場面で始まる物語なら
これまでにもいくつか読んだことがある。

けれども、
ようやく乗り込んだ船を出航直前に後にして
町に戻るところから始まる物語に出逢ったのは
おそらくこれが始めてだ。

本人曰く、その突発的な行動には、
故郷への憧憬などこれっぽっちも含まれていなかったし
別れがたい人がいたわけでもなかったのだという。

土壇場で亡命を取りやめた男の物語とあらば、
どう考えても明るい展開はのぞめそうにない。
まあ、もちろん、タイトルからして、
からっとさわやかな物語ではないことは
はなからわかりきったことではあったけれど…。

それでも、読み始めてみると、さほど陰鬱な印象はうけず、
作者が身を置くアルバニアという国の社会的背景を考えれば
たとえそれが直接的な表現でなかったとしても
体制批判を含め、政治的な側面が色濃く描き出されているに違いないと
先入観を持って読み進めていたのに
読みながら頭の中に流れるバックミュージックは「ある愛の詩」だった。

日がな一日バーに入り浸って酒をあおる語り手の脳裡には
杯を重ねる毎に浮かび上がる人たちがいる。

最初に語り起こされるのは10代の頃の思い出だ。
始めて殴られたときのこと
美しい少女と残酷な復讐計画
そして、この世に生を受けたときから、己の全くあずかり知らぬ理由によって
背負わねばならないと定められた「秘密」のこと。

そう、男は彼自身がまだその秘密を知らされていなかった頃からすでに
「敗残者」となるべくさだめられており、
そのことがまた彼自身が自ら選ぶ進む道にもつきまとっているのだ。

進学しても、
年上の美しい女性に心を奪われても
不本意な形で働き始めても
なにもかも失っても……。

「セサル(宝石)」という名のその男は
宝物となるような思い出を後生大事に抱えているわけでもなく、
運命に抗うわけでも
友情や愛を貫くわけでもない。

目の前にかすかなチャンスがあるときでさえ、
誰かに取りすがるわけでもなく
どん底においやられてもただただ踏みとどまって生き続ける。

多くのアルバニア人が、アドリア海を越えてイタリアへ渡ったその時期に
かの地に留まり続けた作家のデビュー作は
静かに、でも圧倒的な存在感をもって、私の頭の中にも居座り続ける。
おそらく、この先もずっと。

(レビュー:かもめ通信

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敗残者 (東欧の想像力)

敗残者 (東欧の想像力)

1991年、自国での生活に絶望したアルバニア人が多数、アドリア海を越えてイタリアへ渡った。「新天地」への船出―しかし、出発を間近に控えた乗客の中に、自ら船を下りてしまったひとりの男がいた。彼が思い起こす、「敗残者」としての人生とは。無名の元数学教師ファトス・コンゴリを一躍、アルバニアの最重要作家の地位に押し上げたデビュー小説。

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