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新刊JPトップ > 特集 > 「リクルート事件の真実 ― 葬り去られた稀代の経営者・江副浩正 ―」

「江副浩正」の姿に迫る

■#2/出版業界の「常識」を軽々と越境していくセンスに脱帽
―さきほど、ベンチャーのトップの良い点を1つの人格に集約されているとおっしゃっていますが、ベンチャーのトップの良い点について具体的にはどういうものがあると思いますか?
「なにより、新しいものに対して抵抗感なく受け入れることができることですね。私たちは普通、何かを考えるとき、業界のいろいろなしきたりや過去の情報を織り交ぜて考えると思いますが、江副さんはそういったところを平然と越境しますよね。
たとえばこの本には帯がついていないのをお気づきでしたか? わが社でもかなり抵抗があったんですよ。取次からも書店からも苦言があった。業界では帯をつけることが常識だったわけです。新刊帯という言葉もあるくらいで。それで流通している姿を見慣れているわけです。
ところが、実は、新刊に帯を入れないといけない理由なんて、別段ないわけです。これまでそうやってきたから、という理由だけなんですね。江副さんは、『表紙の写真が見えなくなるから、帯をつけなくていい』と言いました。『表紙の写真を見せる』という目的本意に考えている。どちらがよかったかは、最終的にはわかりません。でも、業界人の先入観を軽々と否定し、というか平気で飛び越えていき、目的本意で判断するという、そういうセンス自体が、わたしには重要なことだと思いました。ベンチャー的ですし、それはかなり『良い点』だと思います。」
―この表紙の写真は、当時新聞に掲載されていた写真と同じものですね。「あ、この写真!」という感じで、リクルート事件について書かれているということが、ダイレクトに伝わってきました。
「この本が出版されたとき、業界内からは『新刊だとは思わなかった』という声も聞かれたのですが、一般の方にとってみれば、新刊かどうかではなくて、この本が、買うべき本かどうか、ということが重要なんです。
だから、最初にこの本の表紙を見て、お金を出して買おうとした人の意識なり動機にストレートに着目できるというのは、江副さんという人が成功した理由だと思いますね。もちろんベンチャーと言っても、成功する人も失敗する人もたくさんいますから、ベンチャー的だから良い、というわけではないですけど、江副さんはやはり特別ですよね。」
―本書はリクルート事件の経過も書かれていますが、横手編集長は当時、リクルート事件をどのような立場で見ていたのでしょうか。
「社会人になり、マスコミに入ってばりばりやり始めた頃に、ちょうどこの事件が起こりました。感慨深いのは、今年、民主党が第一党になり、歴史的な政権交代が実現しましたね。制度的にみると、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へと選挙制度が変わったことが、大きかったと言われていますが、制度改革のきっかけをつくったのがリクルート事件なのです。リクルート事件によって竹下登内閣が倒れて、短命で終わった宇野宗佑内閣があって、そうした混乱の中から小沢一郎さんらが飛び出して、選挙制度を変えた。だからリクルート事件は、過去の話ではなく、実は今年の政治状況にもつながっているのです。
わたしにとって、マスコミの世界に入ってはじめての、リアルタイムで進行する大事件だったわけです。メディアの世界に入ってきたての人間は、筆誅というか、青臭い正義感みたいなものを持っていることが多いんですよ(笑)。
わたしも当時、リクルート事件の朝日新聞報道などを見ていて、『ペンの力はすごい』と(笑)。江副さんに対する一方的な社会的リンチのような印象も、わずかにあったことはあったのですが、朝日の報道は『真実を暴いている』と肯定的にみていました。今になってみてみると、いわゆる国策捜査的な面はありますし、マスコミの暴走した正義感が特定の人間を悪者に仕立てて煽り、検察が動いた、という構図は検証しないといけないはずです。
この本の編集を担当したから言うわけではないですが、本当に江副さんは、白にきわめて近いグレーだと思っています。でも当時は黒だと思っていました。この本をご縁があって作らせていただき、当時の自分の意識を振り返るなかで、いまもメディアの側の1人として、反省するところしきりです。」
―今、おっしゃられた部分にもつながるのですが、本書ではメディア報道のあり方を軸に世論、司法問題に対して異議を投げかけています。「出版」というメディア文化に携わる一人として、メディア報道のあり方についてどのようにお考えになっていますか。
「現実に、私たちの目の前で起きている事件なり、報道すべきものというのは、ある意味生き物で、時間を経ないと本当のところはわからない、と改めて思いましたね。だいたい、真実は一つなのかもわからないはずです。さまざまな真実があるわけで、それを判定するのは、結局は歴史でしかない。その素材を可能な限りオープンにしていくことしか、わたしたちはできないと思います。どんどんオープンにする。闇に消えてしまうことだけは、避けよう、と、さしあたってそれだけです。
それから、メディアの側にいるわたしたちが、あまりに価値判断をしすぎないほうがいいと、改めて思いましたね。『これが良いものだ』とか『こちらが真実だ』とかね。もっとも出版人は、新聞やテレビの人たちと比べて、かなり天の邪鬼なところというか、斜に構えているところがあるので、『これがいいのだ』みたいに大上段から来ることがらにはムカツクように、はじめから脳が出来上がっているのです。価値判断する人間というのを、だいたい疑っている。
現代はインターネットの発達で、とにかく開かれた社会になったと思います。良し悪しはありますが、ネットを通じて、いろんなものが即時的にオープンになりました。グローバル化などもあります。飛び交う情報量が非常に多くなっていますね。必ずしも雑誌とか新聞のようなマスメディアが発信する情報ばかりではなくなった。個人がブログで書き発信する情報もどんどん出てくるようになりました。
そういった情報の海の中で、『疑う』というか、『判断を保留する』ことはむしろ大切になっていますね。もちろん何をどう疑うかが問題ですが、今回の出版に引きつけていえば、たとえばリクルート報道みたいなものがネット上などで起こり、特定の個人や団体がバッシングされるようになっても、『ほんとかな』と立ち止まるというか、『叩かれているほうの言い分を聞かないと』と立ち止まる保留感覚は、かなり大事になっていますね。その好例として、『リクルート事件・江副浩正の真実』を読んでくだされば有り難いと思います。もちろん、この本の内容はあくまで、『江副さんの真実』なのですが、情報発信側の『真実』ばかりではいけない、ということを教えてくれるはずです。その意味で、本書はネット時代に生きる現代人に、絶対にプラスになると思っています。
わたしたちも、いつ何時、たとえば痴漢冤罪事件に巻き込まれるか分かりませんし、ネット上であることないこと書かれて社会的に抹殺されるリスクも現代ではありえます。そういう可能性は、ネット社会に生きているわたしたちみんなに無縁ではないはず。だからこそ、本書に描かれた『ある日、突然、被告になった者の身に起こったこと』を読んでもらうことは、非常に大きいと思っています。 それから、本書はメディア関係の人に多く読まれています。メディアに関わる方々にとって、自分たちに突きつけられているものがあるように捉えるのでしょうか。もちろんわたしもその一人ではあります。」
リクルート事件 江副浩正の真実