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【「本が好き!」レビュー】『「池の水」抜くのは誰のため?~暴走する生き物愛』小坪遊著

提供: 本が好き!

このタイトルは某テレビ局の人気番組から来ていることは明らかだ。これは池の水を抜いて、そこに住んでいる外来種を駆除しようという番組で、タレントが水につかって巨大な外来種を捕まえているシーンを視たことがある人も多いものと思う。私も良く視ている。

実は、ため池の水を抜いて干すのは、ため池のメンテナンスのために昔からやられてきた「かいぼり」という方法だ。だからこれをやることに対しては別に問題はない。しかし番組に問題点がまったくないわけではないので、二つほど上げてみたい。まず、センセーショナルなタイトルにより、外来種はすべて悪という空気を醸成してしまうこと。本書には、「人が管理出来て、生態系への悪影響やリスクを考えなくてもいいような外来種までも駆除する必要はありません。」(p91)と書かれているが、「人が管理出来る」と言う条件は、動かない植物でない限り無理だと思うので、外してもいいと思う。

そもそも日本は外来種だらけである、動物はともかく植物ともなると外来種がものすごく多い。目の前に広がるクローバーの原っぱや、春先にそこら中で咲くオオイヌノフグリなどを思い浮かべるといいだろう。私たちが毎日食べているコメだって外来種である。また園芸品種が逃げ出して野良化しているのは良く見る。最近、どこでも見られる鯉を外来種として悪者にする空気がある。しかし、鯉はすっかり日本の生態系に溶け込んでおり、今更外来種という必要はないのではという気がする。日本の生態系に溶け込んでいるものを、いまさら外来種かどうかと議論してもしかたがないのではないか。

もう一つは「かいぼり」はため池のメンテナンスのためにやるのだから、一度やって終わりというわけではない。定期的にやる必要があるのだが、あれだと一度やって終わりということになりかねない。

冒頭に、ある千葉市議が、カブトムシの森を復活させようと、長崎からカブトムシを仕入れて放し、批判を浴びた例を紹介している。これがなぜ問題になるのだろう。私などこの批判こそ生き物愛の暴走のように思えるのだが。これに対して、著者は、4つの問題点を挙げている(pp19-21)が、私はこれに賛成できない。これらを一つ一つ反論してみよう。

1.カブトムシを森に話すと、樹液が不足して、他の虫のエサが不足する可能性がある。
(反論)確かにカブトムシがもともといなかった地区に、カブトムシを放すとそのような可能性があるかもしれないが、その場所は元々カブトムシがいたのであり、元の状態に戻るに過ぎない。また、著者は自然の状態で、虫たちが樹液に集まる状態を見たことがあるのだろうか。色々な虫が集まって樹液を吸っており、カブトムシだけになることはまずないだろう。そのようなことがあれば、とっくに樹液を吸う虫はカブトムシ以外絶滅しているはずである。それにカブトムシは夜行性なので、昼行性の昆虫にはあまり影響しないと思う。

2.幼虫の育つ環境があるとは限らず、その場合カブトムシを大量に捨てていることになる。
(反論)これも昔はいたのだから、幼虫の育つ環境がないとは考えにくい。

3.千葉のカブトムシと長崎のカブトムシは別物である。

4.千葉のカブトムシと長崎のカブトムシの間の子供は千葉の環境にうまくなじめない可能性がある。
(反論)その論理を突き詰めると、長崎の人は千葉の人とは結婚してはいけないということになる。人間だって長崎と千葉ではそれぞれ固有の遺伝子を持っているかもしれない。国際結婚もある。もし遺伝子が理由で結婚に反対したら人種差別主義者として大きな批判を受けるだろう。人間が良くて、他の生物がダメだというのは、一貫性のない勝手な理屈だろう。

そもそも生物に雄雌があるのは、色々な遺伝子を交雑させるためだ。単一の遺伝子では、何かあるとその種が絶滅してしまう可能性がある。遺伝子の多様性は種の存続を考えるなら必要なことではないのか。他の地域の遺伝子が入ってはいけないというのは、人間の自己満足に過ぎないと思う。「なお「ヒト」つまり人間は、世界中に分布しますが外来種とはいいません」(p40)と書いているが、人間を特別扱いにする理由が分からない。そもそもアフリカ系の人とヨーロッパ系の人では、特徴が長崎と千葉のカブトムシ以上に違うと思う。そしてそれら両方のルーツを持っている人はたくさんいる。

本書では、ピューマの近親交配が進んで繁殖能力や病気への耐性が低下したため、遠く離れたところからピューマを導入して交雑させた例が紹介されている(pp42-43)。それは良い例とした紹介されているのだが、私には千葉のカブトムシの例との違いがよく分からない。それに千葉の環境にうまくなじめないというのは可能性の話で、証明されているわけではない。生物の進化とはそんなに単純ではないのだ。子供が適応できる可能性だって十分にある。適応できた個体が生き残るだけだ。可能性だけで否定するのは科学的ではない。

ブラックバスやヒアリのように、これまでいなかった生物を導入し、それが在来種の天敵になり、環境に簡単に回復できないような悪影響を与えたり、人間の生活に被害を与えるような場合は大問題であり、きつく規制すべきだと思うが、カブトムシの例のように、同じ種類の生物がかっていたが、現在はその生物が絶滅したか非常に少なくなったので、他地域からその生物を復活させようとして導入したような場合はあまり目くじらを立てる必要はないと思う。

日本に元々いないヘラクレスオオカブトなんかを放せば問題になるだろうが、長崎のカブトムシも千葉のカブトムシも見た感じは日本のカブトムシだ。遺伝子レベルを調べないと違いがあるかどうかもわからないのである。日本のトキが絶滅したから中国からトキを導入したことをどう評価するのか。

その他、ノネコなどの問題、悪質なカメラマンやバサーの問題、希少種の売買の問題など生物多様性を考えていくための材料は色々と含まれていると思う。私は田舎育ちなので、子供の頃には、今よりはるかに多くの種類の生物が見られた。だから総論としては、生物多様性は守るということには賛成だが、各論になると必ずしも本書の主張には賛成ではない。また、私は、希少種の密漁なども厳しく取り締まるべきだと思っている。密漁は間違いなく生物多様性に悪影響を与える行為だからだ。

(レビュー:風竜胆

・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」

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「池の水」抜くのは誰のため?~暴走する生き物愛

「池の水」抜くのは誰のため?~暴走する生き物愛

「池の外来種をやっつけろ」「カブトムシの森を再生する」「鳥のヒナを保護したい」―その善意は、悲劇の始まりかもしれない。

人間の自分勝手な愛が暴走することで、より多くの生き物が死滅に追い込まれ、地域の生態系が脅かされる。

さらに恐ろしいのは、悪質マニアや自称プロの暗躍だ。知られざる“生き物事件”の現場に出向いて徹底取材。人気テレビ番組や報道の盲点にも切り込む。

この記事のライター

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