だれかに話したくなる本の話

【「本が好き!」レビュー】『氷柱の声』くどうれいん著

提供: 本が好き!

「この作品を書くまでにわたしは震災のことをなるべく話さなくていいようにしてきたし、話すことがあれば、とても身構えた。震災について『語っていい』のは、それが許されるほど深い傷を負った人か、『進んで責任を負える人』だと思っていた。地震が起きた日、わたしは高校一年の三月だった。それから今に至るまで、特に学生時代は『本当にこれが祈りなのだろうか』と思うことがたくさんあった。思っていないことを言わされているような感覚があって、しかし、思っていることはうまく言葉にすることができなかった。『感謝』『絆』『がんばろう』とひな形のように言語化される表現以外の祈りの方法をわたしは知らなかったし、学生だった同世代は、おそらくみな教えてもらうことができなかったのではないかと思う。わたしは『被災県在住だが被災者とは言えない』という自分の立場のことをいつも考えていた。関東の人たちからは『がんばって』『おつらかったでしょう』と眉を下げて言われ、しかし、沿岸の方の話を聞くと(なにも失わくてごめんなさい)と思ってしまう。絶対にいつかこのやり場のない気持ちやもどかしさを書く、と、文芸部で短歌や俳句や随筆を書いていたわたしは思っていた」

本書を書いた経緯については、作者による、このあとがきで率直に語られています。しかし、実際に書くまでには10年の歳月が必要でした。本書は、盛岡で震災を経験した作者自身の分身と思われる「私」加藤伊智花(いちか)の、2011年から2021年までの生と、友人たちや仕事上で知り合った人たちとの交流を描いたものです。

読んでいて思い出したのは、アッバス・キアロスタミ監督による『そして人生は続く』(1991年)です。この映画は、3万人以上が死亡したといわれる1990年のイラン地震の後で、傑作『ともだちのうちはどこ?』(1987年)の出演者たちの安否を監督(別の俳優によって演じられました)が訪ね回るという内容のセミ・フィクション&セミ・ドキュメンタリー映画でした。英語の題は 'Life and Nothing More' となっていて、これは原題の直訳のようなのですが、邦題もとても考えたものでした。何があっても、それにどんな影響を受けようとも、人生は続いていくということを自然に見せてくれる作品だったからです。

本書は、作者が実際に身近だった人のことを書いた『うたうおばけ』のようなエッセー集と違い、それほど相手のことに詳しいわけではない知人とのインタビューを通じて、得た知識や感情を反映させたフィクションですが、その意味において、やはりセミ・フィクション&セミ・ドキュメンタリーなのです。あとがきには、その辺りを、こう書いています。

「取材ではボイスレコーダーは回さず、メモにも逐一残さず、通話をし終わった後にわたしの中に残った声を書き起こした。(中略)わたしは彼らのとの会話の中で何度もうなずき、何度もうなだれ、何度も気づかされた。この作品の登場人物の人生に起きた『東日本大震災津波』という大きな出来事の、その、視界に収まりきらない大きさのこと、わたしたちは何を語ろうとしても『震災のあった人生』以外を選ぶことができないこと、そしてまた、皆これから先に『震災のようななにか』が待ち受けているかもしれない人生を生きるしかないことを思った」

このあとがきは、次の文で締めくくられます。

「この作品は『震災もの』ではない。だれかの日常であり、あなたの日常であり、これからも続くものだと思う」

本書の内容については、あえて触れません。作者の創作の背景だけ紹介すれば、それで十分だろうと私としては思うからです。あとは、できるだけ多くの方が、当時の高校一年生が十年間熟成させてきた思いを形にした本書を読まれることを望むだけです。

最後に、本文の中から一つだけ、震災の後で、東京の大手広告会社に就職した登場人物の台詞を紹介しておきます。ここで語られていること、あるいは、これと同じ発想は、岩手県には競技する場所もなく、福島県では無観客、宮城県では有観客となった「復興五輪」という色あせたレッテルにも感じるからです。

「東京に来てから震災で家族を亡くしたと言うと『かわいそう』とか『つらかったでしょう』って言ってくる人相手にも、むかつくとかなんだこのこのやろうとか、そういうのなんにも思わなくって。だって僕にはこの現実しかないんすから。大学で初めて地元を離れて盛岡に来た時、びっくりした。みんな家族がいて、みんな家があって、釜石にいたときは誰もが何かをなくしていて、どこかで連帯感があったというか。(中略)会社に入ったら毎週末ショッピングモールでヒーローショーとか、握手会とか、そういうものの設営と運営、もちろん楽しいんですけれど、土日に家族連れが楽しそうに集まるのを何度も何度も見ているうちに、僕何したくてここに入ったんだっけ、って思って、それで辞めて岩手に帰ろうかと、って上司に相談したら、はは、なんて言われたと思います(中略)震災でちやほやされてたか知らないけど、折角震災採用なのに辞めたら後悔するぞ(中略)そう、ちやほや。ああ、僕が『かわいそう』で『つらそう』だからみんなにちやほやされていると思っていたのかあ。それで、この会社に入れたのは社会貢献だと、少なくとも上司には思われていたんだって。そうしたらなんか笑えて来ちゃって、辞めるための背中を押してもらえました」

(レビュー:hacker

・書評提供:書評でつながる読書コミュニティ「本が好き!」

本が好き!
氷柱の声

氷柱の声

語れないと思っていたこと。
言葉にできなかったこと。

東日本大震災が起きたとき、伊智花は盛岡の高校生だった。
それからの10年の時間をたどり、人びとの経験や思いを語る声を紡いでいく、著者初めての小説。

この記事のライター

本が好き!

本が好き!

本が好き!は、無料登録で書評を投稿したり、本についてコメントを言い合って盛り上がれるコミュニティです。
本のプレゼントも実施中。あなたも本好き仲間に加わりませんか?

無料登録はこちら→http://www.honzuki.jp/user/user_entry/add.html

このライターの他の記事