革命対談
インタビュー

上田 「40歳までは飲食中心でやってこられて、そこから切り替わったというのは、やはり一つの節目を達成したという意味で変わったのでしょうか」

渡邉 「それもありますが、僕は会社を作った時から40歳で何某かのお金を手に入れたら教育に関わりたいとずっと思っていましたからね」

上田 「皆さんこんにちは、上田渉です。自分自身の中に革命を起こし、出会った人にも革命を起こし続けている著名人の方々とざっくばらんに語り合う『革命対談』。今日は経営者であり、教育者でもいらっしゃる渡邉美樹さんをお迎えしています。美樹さん、よろしくお願いいたします」
渡邉 「はい、よろしくお願いいたします」
上田 「毎回この『革命対談』で冒頭にしている質問がありまして、それは“渡邉美樹さんはいつ渡邉美樹さんになったのか”というものなんですね」
渡邉 「面白い質問をしますねえ」
上田 「今の渡邉さんになるまでに人生のターニング・ポイントが何回かあったと思うんですね、そういったことについて是非お聞かせ願いたいな、と」
渡邉 「僕が本当の意味で大きなターニング・ポイントを迎えたのは10歳の時だったと思います。もし10歳での母親との死別、そして父親の会社の清算、実質の倒産がなければ、今の渡邉美樹は絶対に生れていなかったですね。

誰でもそうだと思いますが、人の存在を変えるのは価値観なんですよね。僕自身が“人間っていうのは何のために生れてきたんだろう”とか“何のために仕事をするんだろうか”とか“何で死んでしまうんだろうか”というようなことを考え始めたのが10歳の時でした。それは、あの経験がなければ絶対に考えなかったことですから 」
上田 「なるほど」
渡邉 「また、“皆さんから見た渡邉美樹がいつ渡邉美樹になったのか”ということでしたら、多分今から10年前でしょうね。

一部上場というのが自分にとっての大きなターニング・ポイントでしたから。一部上場して、何十億円かの現金を手に入れて、そこから僕自身の生き方が変わりました。そこから教育や医療、介護、農業、途上国支援などに携わるようになりましたし。

40歳までは飲食業だけの事業展開、40歳から50歳までは外食以外の事業展開もやってきました。皆さんから見た渡邉美樹というのは、この外食以外の業展開が一番印象が強いのではないかと思いますね 」
上田 「40歳までは飲食中心でやってこられて、そこから切り替わったというのは、やはり一つの節目を達成したという意味で変わったのでしょうか」
渡邉 「それもありますが、僕は会社を作った時から40歳で何某かのお金を手に入れたら教育に関わりたいとずっと思っていましたからね。僕が教育を変えるんだ、ということも思っていましたし。

外食業も好きですから我慢していたわけではもちろんありませんが、40歳までは、走りたくてしょうがない馬を抑えていたという感じでしたね。で、40歳からは、“さあ、走っていいぞ”と」
上田 「ああ~なるほど」
渡邉 「だから、思いっきり走って走って、というのがこの10年間だったと思います」
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